2. 初めての山登り

終戦翌年の昭和21年春、疎開先の茨城県新治郡七会村七会村小学校からの遠足である。学校から1時間程歩いたところにあった「やまもと山」である。麦飯に水っぽいサツマイモ片が混ざった弁当を引っ提げ暑い田舎道を汗をかきかき歩かされ辿り着いた先は岩山であった。都会育ちでひ弱な小学2年生にはキツイ行軍である。岩山は頂上まで黒ずんだ岩で覆われていた。そんなに高い山ではなく両手を使ってよじ登ってゆくと短時間でてっぺんまで登れた。多分丘程度のものだったのであろう。仲の良い友達数人と大きな岩の上で弁当を食べる。その岩のすぐ下には常磐線が走っていた。左手遠方に白煙を吐く黒い点が見えたと思ったらあっという間に近づいて来て轟音と共に右手に消え去った。上野行きの上り列車である。数十年たって懐かしくなり茨城県の地図で常磐線西側にある筈の「やまもと山」を探してみたが見つからない。私にとって幻の山なのか。その内に常磐線神立駅から線路際を北上し「やまもと山」を探し当てたいと思っている。

この初登山以降にも二度ほど山に登る話が出たことがあった。小学校3年時の遠足で東京の高尾山が候補に上がった。ところが高尾山はきついので4年生以上にならないと無理という校長の判断で中止となった。中学2年の夏休みには戦争中に疎開していた茨城県の農場へ友人と泊まりに出かけた。広い畑の向こうに姿の美しい筑波山が見えていた。友人と登ってみたいと話していると宿泊先の大人達に「君たちには厳しすぎて登れるわけがないから止めときなさい」と強く言われ結局登るのをあきらめた。今では高尾山も筑波山もそんなにきつい山とは思えないが当時は戦争中にケーブルカーは撤去されていて麓から歩かねばならなかったことを思えば大人たちの判断も強ち間違っていたとは言えない。さて、それからまもなくして私を大の山嫌いにさせたきついきつい山行に出会うことになったのである。