13.畏敬の念を起こさせる釼岳

ハイシーズンの山小屋は混んで大変である。特にお盆の期間になど訪れようものなら、たたみ一畳に3人も寝かされるような羽目に合う。 こんな場合、上を向いてなど寝られず皆横向きになっていわしの缶詰のようになる。 夜中にトイレになど起きようものなら戻って来ると自分の寝るスペースは完全になくなってしまっている。 元の場所に潜り込むのは至難の業である。 退職後は時間を自由に使えるのでそのような時期をはずして登山計画を立てることが出来る。 高校同期の山の仲間と行くことになった釼岳は登山前日の山小屋泊が盆終了日になるよう計画した。

長野県側の扇沢からトロリーバス、ロープウェイ、バスと乗り継ぎ、室堂に到着したの午前10時前であった。一休みしてから覚悟を決めて雄山への急登にかかる。山頂は雄山神社のあるピークで、標高は3003メートルである。社の真後ろに釼岳の威容が見えてくる。 目の前に延びる大汝から別山へと稜線を辿り二日目にあの頂に立つのが目標なのだ。白馬、鹿島槍裏銀座、槍、穂高、薬師・・北アルプスの名 だたる山々はすべて視界の中にあった。雄山神社の裏側を回り込むようにして岩稜を伝うと、立山最高峰の大汝山はすぐである。釼岳に登るためにはこのようにまず3000m級の山々を超えていかなければならないので大変である。

大汝山を過ぎて高山植物の咲くなだらかな道をしばらく行くと、富士の折立から砂礫の急な下りに変わり、真砂乗越に降り立つ。 山頂のピ ークは突き出た山稜の先端にあった。その先端に立つと、これまで胸から上しか見えなかった剣岳が、ここではその全容を余すところなく見せるのだ。 剣沢を隔てて堂々と天を圧する釼岳を目にした瞬間背筋がゾゾッとした。 まさにサタン(悪魔)の山ではないかと思われるような怖さがあった。切り立つ黒い岩肌が登山者を寄せ付けないぞと言っているようだった。あんな山に果たして登ることが可能なのだろうかと思わずにはいられなかった。 畏怖と同時に畏敬の念を抱かさずにはいいられない釼岳があった。

そこから雪渓を四つほど横切りながら釼沢を下ると宿泊地の釼山荘である。 盆休みの登山客が去った後の山小屋はすいていた。 山小屋には珍しいお風呂にゆっくり浸り疲れを癒して夕食をとり翌日の行程を調べて早めに床に入った。 翌朝は午前3時半に小屋を出る。暗いのでヘッドライトで足元を照らしながらの行進である。急な岩道を登るのだが足元だけを見ながら進むので怖さはない。未だ暗いうちに可なり登ってしまったので明るくなっても目に入るのは周りの岩肌だけで恐ろしい釼岳の威容は目に入らないのが幸いした。

鎖や鉄梯子が架けられているので岩場の連続でも何とか通過でき予定通り山頂にたどり着けたが登りの「カニのタテバイ」とか下りの「カニのヨコバイ」と言う難所はスリルがあった。 特に下りの「カニノヨコバイ」は岩に削られている足場が見えないので先に降りている人に最初の足を置く位置を教えてもらわないと足が中ぶらりんになって怖いことこの上ない。 鎖も、梯子もましてや岩に彫られた足場もなかった時に登頂した人がいたと言うのは驚きである。

百名山の中でも釼岳は私が家内より先に登った数少ない山の一つである。 数ヶ月遅れで釼岳に登ってきた家内に「どうだった?」と聞くと「あなたが言っていたほど難しい山じゃなかった」との返事であった。