35.羊蹄山、利尻山と続く

羊蹄山は別名「蝦夷富士」と言われているだけあって富士山を見ているようだ。登山口まで車で行き頂上を目指して歩き始める。天候にも恵まれ快調に歩を進めていると後からマラソン姿で駆け上ってきた人がいる。頂上まで駆け上るのだと言って我々を抜いてそのままどんどん駆け登って行ってしまった。時々マラソン人やマウンテンバイクで山を登っていく人に出会うが世の中には凄い人達がいるものである。

羊蹄山を大した問題も無く登り終え先を急いだ。その日は稚内近辺まで行き一泊する。翌朝、稚内のフェリー乗り場駐車場に車を止めフェリーで礼文島へ渡った。予約してあった民宿に荷物を置いて礼文岳に登ることにした。礼文岳は花の百名山にも新百名山にも選ばれている山である。それほど高い山ではないが結構汗をかいてしまった。途中で見た可愛い花々もさることながら頂上から見た美しい海岸線がとても印象的であった。

翌日は朝一番のフェリーに乗って利尻島へ向かった。フェリーから見えた利尻山はかなり厳しそうに見える。泊まる民宿は船着場の直ぐ近くだった。その日は足慣らしの為に宿の裏の高台に登りしばし散策をした後町の公衆温泉に入りに行き身体を休めた。

翌日いよいよ利尻山へ登る時が来た。民宿の主人が三合目まで車で送ってくれることになった。 心配していた天気も問題なく、はやる気持ちを抑えながら三合目から出発した。登山道に入って500メートルほど行ったところに手の切れるような湧き水《甘露泉》がある。日本最北端の100銘水とのことなので早速コップにすくって味わった。このコース唯一の水場であり水筒も一杯に満たした。  

展望のないダケカンバの中を徐々に高度を上げていくとやがて黒木の高木帯を抜けてミヤマハンノキや笹原の明るい尾根道の5合目に出た。天気が良く利尻の山頂と鴛泊港、遥かにサハリンも眺望出来て大感激である。更に休まずに頑張ると、だんだんと傾斜を増した尾根道がじぐざぐになってきて可なり体力を消耗する。ごつごつした岩の道をひと登りすると8合目、避難小屋のある長官山に立った。円錐形の山頂が直ぐ近くに見えた。

まぎれもなく利尻山だ。ハイマツに覆われた山肌の濃い緑が目にしみる。やや平坦な道を過ぎるといよいよ本格的な急登が始まった。直ぐ近くに見えるのにここからが大変であった。 胸を突くような急登は半端ではなかった。右手が赤茶けた崩落の急傾斜となって落ち込み、左手は草付きの急斜面なのである。足元はざくざくの火山礫で、非常に歩きにくい。3歩登ると2歩滑り落ちると言う感じである。これほどずるずるとずり下がってしまうのは九州の高千穂峰登山で経験して以来の事だった。

9合目を過ぎると尾根道は風の通り道になっていて冷たい強風が吹き付けていて汗をかくどころか体が冷えていく。疲れて休んでいる人達を次々と追い越して頂上に立った。終に最北端の日本百名山利尻山に登ったという喜びが湧いてきた。ローソク岩などの奇観を眺めたりしてひとときを過ごした。やはり利尻山は大変な山であった。

34.百名山残り5座となる

笠ヶ岳黒部五郎岳薬師岳縦走を終えた後、未だ登っていなかった比較的近場の会津駒ケ岳(福島県)との至仏山群馬県)を家内の案内で登り百名山の内95座を終えた。残り5座は北海道の幌尻岳羊蹄山利尻山の3山と東北の飯豊山朝日岳となった。やはりスケジュール的に難しいのは北海道の3座である。

北海道には百名山に数えられている山が9座あるがすでに6座は家内の山仲間のベテランご夫婦にお誘いを受け二回に分けて登頂していた。北海道は広いので車で行かないと効率よく回れない。 二回とも誘って下さったご夫妻のRV車で新潟よりフェリーで小樽まで行き比較的短期間で目的の山々を踏破出来たのであったが、今回は家内との二人旅である。残された3座は離れ離れに存在する。幌尻岳日高山脈の最高峰で東部に位置し、羊蹄山は札幌近くでどちらかといえば西にあり、利尻山稚内からフェリーで渡る利尻島にあるから北の方だ。

よほどうまく回る順序を考えないと許された時間内に3山の踏破は難しくなる。もうひとつの問題は天候であった。羊蹄山は多少天気が悪くてもなんとか登山可能であるが残りの二つは悪天候にあったら登山そのものが難しくなる。特に幌尻岳は登山に際して数箇所の渡渉場所があり、登山日に晴れていても大雨が降った後では川の水嵩が高くなり渡渉困難な状態になったり水流が強くなって渡渉するのがすこぶる危険となる。また、登山がうまくいっても上にいる間に雨が降れば下山できなくなり頂上小屋で2〜3日待機せねばならないことすら起こりうる。そんなわけで予備日を考え3ヶ所回るのに全日程で10日以上とったのである。すべてが順調にいって日程があまればいくらでも他に登ってくる山はあるのでそれで調整すればよい。

前2回と違い自分たちのRV車で茨城県の大洗から苫小牧までフェリーに乗ることにした。正午前に大洗港を出航したフェリーは翌朝苫小牧に着く。週間天気予報を見て登る山の順序は幌尻岳羊蹄山利尻山とした。北海道での初日は苫小牧から車を飛ばして襟裳岬まで行き一泊、2日目には早出をして幌尻岳登山口の山小屋まで行き泊まる。ここで以前よく一緒に山行したことがある家内の知り合いにぱったり出会った。数多くの山の中で同じ山に同じ時に登るというのは確率的に珍しいと思ったら家内はその方に過去2回も偶然山中で出くわしたことがあるという。

翌日は快晴となり勇んで早朝幌尻岳へ向かった。途中登山靴を脱いで膝上まで冷たい流れに浸かって川を渡る幾つかの渡渉箇所があったが何とか無事こなし、終に幌尻岳を征服した。大した苦労も無く登れたのは天候に恵まれたのが大きかったと思う。その日の内に車で羊蹄山の麓の宿までたどり着くことが出来た。

33.笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走(2)

翌日も朝食は弁当にしてもらい、薄暗いうちに笠ヶ岳山荘を後にする。暫くして槍ヶ岳の左から出る日の出を見て感激。弓折岳の直前で、我々より1時間以上も後に出発した田中翁に追いつかれた。弓折岳を出発して間もなく雪渓上に雷鳥の親子を発見。槍穂高縦走に向うという田中さんと別れ、双六岳へのきつい登りを経て昼前に双六岳頂上に立った。中腹にコバイケイソウの大群落。そこから三俣蓮華岳を通過して石ごろごろの歩きにくい道を下り、黒部五郎小舎には2時頃には到着した。

小舎の前はコバイケイソウの大群落。ビールを飲んで暫し景色を楽しみ小舎に入る。ここでも一人一枚の布団で寝られたのは嬉しかった。 縦走を始めて3日目はガスのち曇の天候だった。朝食を食べ4時半には出発しカールコースをとりカール上部コバイケイソウの大群落の中で一休み。そこから黒部五郎肩を経て黒部五郎岳頂上には8時には着いてしまった。ガスで視界きかなかったのは本当に残念だったが長居は無用。

急な下りと意外に長い昇り降りの後、中俣乗越で昼食を取った。そこから赤木岳、北俣岳を正午前後に通過ししばらく行くとハクサンイチゲイワイチョウなどの大群落に出会った。 ここで太郎平を望みつつ休息した後、木道を辿り4時太郎平小屋着した。一人一枚の布団で寝られたのは良かったが、大部屋でいびきの大合唱には参った。

4日目は晴となった。 軽装で小屋を出発し途中で朝食を取るため小休止を取ったが薬師岳頂上には7時前に到着した。立山方面、後立山、鷲羽、水晶、赤牛、槍、穂高、笠、みんな見えて大感激。太郎平小屋に戻って400円のカレー味のカップヌードルを食べ帰路につく。途中、キンコウカの群落を通って正午一寸過ぎに富山県側の登山口折立に着く。そこで体を拭いて着替えタクシーで新穂高駐車場へ戻った。

この縦走はかなりハードなコースであったが、結果的には休憩を含む所要時間でも案内書のコースタイムを下回った区間もありよくやったと言っていいだろう。毎日天気予報に脅かされたにもかかわらず、良い方にはずれ、幸運であった。花期が遅れていたためか、各所で見事なお花畑が見られたのは幸運だった。特に、コバイケイソウの群落が目立った。その他、チングルマハクサンイチゲアオノツガザクラ、キンコウカ、イワイチョウなどの群落が方々にあった。

[観察した花と鳥と蝶] <花>オタカラコウ、ウサギギク、ミヤマアキノキリンソウ、タカネヤハズハハコ、ミヤマタンポポチシマギキョウエゾシオガマヨツバシオガマイワイチョウ、ミヤマリンドウ、ハクサンシャクナゲミネズオウアオノツガザクラコイワカガミゴゼンタチバナシラネニンジンハクサンフウロミヤマキンバイ、ミヤマダイコンソウ、チングルマ、イワオトギリ、シナノキンバイハクサンイチゲ、ミヤマカラマツ、イワツメクサコバイケイソウ、ミヤマバイケイソウ、キンコウカ、ニッコウキスゲクロユリ、ヒメサユリ、クルマユリシモツケソウ。<鳥>イワヒバリ(声)、メボソムシクイ(声)、ルリビタキ(声)、ホシガラス(声)、カヤクグリ、ウグイス(声)、ライチョウ親子。<蝶>クジャクチョウ、タカネヒカゲ、アカタテハ、イチモンジチョウ。

32.笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳縦走

光岳登山を済ませて間もなく、高校同期の山仲間二人と岐阜県から富山県に連なる北アルプス笠ヶ岳黒部五郎岳薬師岳を一気に縦走する計画を立てた。3座ともそれぞれが結構厳しい山なので縦走ともなると相当な覚悟がいるのだが友人二人は快く同行してくれることになった。

初日は新穂高まで車で行き、そこから林道を1時間弱歩くとわさび平小屋である。ここはハイキングコースにもなっているので軽装のお客さんも多いし、風呂にも入れる。ここで一泊し身体を休めて翌日からの縦走に備えることにした。 翌日の朝食は弁当にしてもらい、宿から少々新穂高方向へ戻ったところにある笠新道登山口へと急いだ。 笠新道の途中に水場がないとの事なので登山口で旨い水を飲んだ。この笠新道は多くの人から大変厳しい登山道であると聞いていたので気を引き締めて歩き出した。

笠新道入口から杓子平らへの道は急登道であったが嬉しいことに一時間半も登ると樹林帯を抜け、槍〜穂高連峰の素晴らしい山容とお花畑が目に入ってきた。 不思議なことに私は前方が見える登山道は大好きで疲れをあまり感じない。 富士山然り、御嶽山然りで気持ちよく足が進む。 そんなわけで思ったより楽に笠が岳山荘に着くことが出来て、午後の早い時間に山頂に立つ事が出来た。 笠新道を正味6時間ぐらいで登ってしまったことになる。インターネットで調べると7-8時間ぐらい掛けて登っている人が多いようであるから我々のペースはかなり速いほうであった。

笠が岳山荘では梯子付き上段のスペースが与えられた。 込み合っていなかったが暫くすると一人の老年の登山客が入り込んできた。70歳の田中さんという方だ。話を聞くと前日夕方4時までテニスをやり、その日の夜行バスで新穂高に着き、4時間強で笠が岳に登ってきたとのこと、驚くほどの健脚である。しかも両膝を痛めていて整形外科医に注射を打ってもらっているというのだから恐れ入る。最近は若い人、特に女性軍が山に戻ってきているようだがこのような元気のいい老人にも時々出会うことがある。

31.光(テカリ)岳に登る

静岡県と長野県にまたがる光岳はテカリ岳と読む。頂上近辺に白く光っている大きな岩があるところから来ている名前だそうだ。 百名山を目指す人にはこの山を最後の方に残す方が多い。残すというよりはなかなか他の山を登ったついでには行きにくい所に位置しているのでついつい後回しになるというのが本当のところであろう。幸い家内も未だ登っていなかったので積極的に付き合ってくれることとなった。私が登っていて家内が登っていなかった唯一の山であった聖岳にも回ることで話がついた。便ヶ島の聖光小屋まで車で行きそこから光岳に登り、光岳の小屋に泊まって次の日に聖小屋まで行き三日目に聖岳に登って下山するという計画である。

このルートで一つ大きな問題があった。便ヶ島の聖光小屋に前泊して登るのであるが登山口から陽老岳の尾根に出るまでの樹林地帯には無数の蛭(ヒル)が待ち構えていて登山者に襲いかかると言う。光岳に登った人の手記を読むと必ずといってよいほど蛭の話が出てくるぐらいであるからかなりの名所なのであろう。それでなくても虫に襲われやすい体質の家内は虫とヒル対策の準備に神経を尖らせる。頭から被るネットやヒル退治のスプレーを買ってくる。現に前泊した聖光小屋で下山してきた一人の登山者の腹部にヒルが食いついているのを見せられて恐れをなした。ヒルが衣服の上から侵入し皮膚にまで達していたのである。

確かに長時間かかる登りのきつい山であったが光岳の山小屋に着くと既に6−7人の登山者がいた。早めの夕食をいただきながら同宿の皆さんとの団欒のひと時は楽しいものであるがそこで驚いたことがある。 私は光岳が百名山の90番目に登った山であったがそこに集まっていたのは99番目、97番目、95番目、91番目が二人といった具合で皆私より百名山先行者達ばかりであったのだ。要するに光岳はどうしても後回しになる山らしい。翌日も晴天で聖岳小屋まで順調に歩けた。以前3000m級の山として友人と登った聖岳は霧のため視界ゼロでなんとつまらない山かと思ったが今回は見晴らしもよくなんと素晴らしい山かと思う。山というのは登った時の条件でこんなにも違ってくるものなのだ。

幸いなことにあれほど心配していた蛭にもやられずに3日間歩けてなんとなく拍子抜けした感じがするが光岳を終えて百名山完登がやっと見えてきた感じであった。

30.屋久島(3)

新高塚小屋に泊まった翌日も快晴であったが、私の咳はひどくなるばかりで熱も38度近くにまで上がっていた。これほど体調の悪い状態で山歩きをしたことはそれまで一度も無かった。無事にみんなについていけるか心配であったがこの日は山を下るだけだったのが幸いであった。東京にいるときに映画で見て楽しみにしていた縄文杉、夫婦杉、大王杉やウイルソン株あたりまで下ってくると身体が高熱の体温にも慣れてきて少し元気が出てきた。立派な屋久杉達をしげしげと観察する心の余裕さえ生まれてきた。

しかし、荒川登山口にはタクシーを呼んである。山の中からは電話連絡が出来ないので約束の時間に遅れるわけにはいかない。休憩もそこそこに先を急がなければならない。しばらく木道を下ってゆくとついにトロッコ軌道に出た。屋久島が出てくる映画や観光案内等で出てくるトロッコの路線である。トロッコ路線の鉄橋を登山者達がとことこ歩いて渡る姿は写真でよく目にしていたので楽しみにしていたところである。ところがこのトロッコ道は歩き出してみると長いこと長いこと、いい加減いやになった頃やっと鉄橋が出てくる。憧れの鉄橋を渡って更に歩き続けてやっと荒川登山口に到着した時には疲労困憊していた。

タクシーは約束どおりにやって来た。懐かしい運転手の顔を見てほっとする。その日は海の眺めが美しいシーサイドのホテルに泊まった。お風呂で身体を休めると直ぐに夕食の時間となった。豪勢な料理が出たが咳がとまらず食欲も出なかったのが残念である。その夜は風邪薬を飲んで早く床についた。

翌日、屋久島での四日目も天気が良かった。三日連続して天気が続くのは屋久島では珍しいそうである。屋久島まで来たのだから島を一周して名所をめぐっていこうということになってレンタカーを借りた。数々の名滝、巨大なカジュマルの木を巡り、有名な海中温泉にも入った。運転は交代ですることになっていたのだが私は未だ熱が引いておらずすべてお任せすることになってしまった。「あなたの無用心で風邪をひいてしまい皆さんに大変なご迷惑をかけた」と山の神に散々なじられた辛い宮之浦岳山行であった。

29.屋久島(2)

淀川登山口から登り始めて暫くすると雨が上がって薄日がさしてきた。皆、早速雨具を脱いで軽快な歩みとなってきた。40分も歩くと淀川小屋である。小屋は木造中二階で綺麗に清掃されていたが子供ずれの外人家族が炊飯の準備をしていた。我々も水飲み時間とし一寸椅子に座りその家族と話をしたのであるが話しているうちに相手がひどい風邪をひいている事に気がついた。風邪をひいている人の出す独特の臭いが周りの空気に充満していたのだ。いやな予感がした。

そこから一時間弱登って綺麗な高層湿原小花之江河を通過する頃には太陽が出て来て小春日和となった。それから更に一時間ほど歩いて尾根に出た時だった。可愛い一匹の小鹿が登山道脇に飛び出してきた。茶色の毛に白い斑点がある正にデズニー映画のバンビである。人に慣れているのか手を出しても逃げない。心和む動物との出会いであった。

天気が良くなったおかげで昼一寸すぎには宮之浦岳頂上(1,935m)に立つことが出来たのである。頂上からは永田岳や青い海が展望でき幸せな気分となる。宮之浦岳登山は距離があって大変だと聞いていたわりにはあっさり登れてしまった感がある。そこからの下りはるんるん気分で歩け、明るいうちに新高塚小屋に着いた。ところがその夜から急に熱が出てきて、激しい咳が始まった。寝袋に潜り込んでも連続的に咳が続き同宿の登山者達に大変な迷惑を掛けてしまったのである。